第12回「わんマン賞」童話部門 佳作作品 冴 綸子 作
我が家には一本の梅の木がある。
梅の木には二匹の犬にまつわる悲しい思い出がある。
悲劇を乗り越え、一人の女性が人生のテーマとして選んだこととはいったい……。
私の家には一本の梅の木があります。その梅は毎年、白い花を咲かせて、甘い良い香りの梅の実をたくさんつけてくれます。私はそのたびに、梅の実をひとつずつ丁寧にもいで梅干にします。そして、しその葉の深い赤紫色になった梅干を、少しだけ切ない気持ちで食べるのです。
正直いって、私はこの家を買うのは反対でした。家を売る営業マンさんに紹介されたこの家は、まるでオバケ屋敷のようだったからです。和室の障子はびりびりに破れていて、部屋の隅にはたくさんのクモの巣。ゴミなのか荷物なのかわからないものがたくさん散乱していて、足の踏み場もありません。おまけに、少し歩いただけで靴下の裏は真っ黒。営業マンさんは熱心にこの家を勧めるけれど、私はあまり耳に入らず、まったく手入れのされていない木がうっそうと生い茂る庭を窓からぼーっと見ていました。
(あれは、梅の木?)
よく見ると、うっそうと生い茂る木に隠れるように、私の腰の高さほどの、わりばしのように細く小さい梅の木が生えていたのです。おそらく周りの木が太陽の光をさえぎって成長できなかったのでしょう。
(あの梅の木の根元なら、あの子たちは喜んでくれるやろか)
安い買い物ではなかったけれど、私たち家族は「庭に梅の木があったから」という理由だけで、この家を買うことに決めたのです。
壁紙を張替え、床を磨き、念入りに掃除をすると、あれほど恐ろしく見えたオバケ屋敷が見違えるほど綺麗になりました。
引越し屋さんのトラックから降ろされたたくさんのダンボール箱が次々と部屋に運ばれます。
「ママが持ってる、その箱はなに?」
八歳になる娘が聞いてきました。私が銀色の缶箱をずっと抱いていたからです。
正直に話すには少し早い気がしてためらったけれど、思い切って話すことにしました。
「わんちゃんたちの骨が入ってるんよ」
娘は少しびくっとして、驚いているのか怖がっているのかわからないような顔で「なんで骨があるん? わんちゃん死んだん?」と聞いてきました。
「うん、ママな、あんたが生まれるずっと前にわんちゃんたちを飼っててん。二匹のわんちゃんの骨がここに入ってるんやで。庭を手入れしたら、あの梅の木の下に骨を埋めようと思ってる。きっと喜ぶと思うねん」
庭にある梅の木を指差すと、今度は窓ガラスにおでこをぺったりとくっつけながら「でもたくさんの木があるのに、なんで梅の木のところに埋めるん?」と聞いてきました。
「ウメちゃんっていうお名前のわんちゃんやったからね。ウメちゃんは梅の花が咲く寒い季節にママのところに来たんよ。だからウメちゃんって名前にしたの。もう一匹はウメちゃんの生んだ仔犬のチョビン。ウメとチョビンなら、梅の木の下をきっと喜んでくれるとママは思ってるんよ」
娘はもっともっと聞きたそうにしていたけれど、久しぶりに口にした犬の名前に思いがけず『あの日』がよみがえり、私は涙がこぼれないように少し上を向きながら、悲しみの波をやりすごして「ほら、はよ引越しの片付けせんと! 続きは今度必ず話すからな、約束な! 片づけが終わるまで子ども部屋で遊んで待っててな」
娘は何か言いたそうにしながらも「はーい」と返事をして部屋を出ていき、私は娘の出て行く姿を確認したあと、その箱のふたを久しぶりにそっと開けてみました。
ウメの少し大きい赤い首輪と、チョビンの少し小さい緑の首輪が並んでいます。その下には、少し大きくて長いウメの頭の骨と、少し小さくて短いチョビンの頭の骨。
「ウメ、チョビン……。じきにお墓で眠れるからね」
私は涙をぬぐって、そっと箱を閉じました。
その日は大阪では珍しく雪が積もっていて、テレビでは十一年ぶりの積雪であることを伝えていました。
「さむっ!」
慣れない寒さに縮こまりながら、会社へ行く準備をしている私の耳に、普段は聞こえない音が混ざって聞こえてきました。私は少し動きを止めて、その音の出所に耳を済ませます。
ガザゴソ、ガサッ、ゴソゴソ、プスプス……
どうもその音は玄関から聞こえてくるようです。私は上着を肩にひっかけて、恐る恐る玄関のドアを開けると、そこにはボーダーコリーのような白地に黒模様の入った一匹の小さな仔犬が、ダンボールの中で息も絶え絶えにガタガタブルブルと震えていました。捨て犬です。十一年ぶりの積雪になるほど寒い夜更けに、捨てられていたのです。
私は後先考えずに、とにかくすぐにその犬を家の中に入れて、暖かい毛布でくるみ、暖かいミルクを飲ませました。
しばらくすると、いくぶん元気を取り戻したその犬は、私と目を合わせると、嬉しそうに一丁前に尻尾をパンパンと振って、私の手を飴ちゃんのようにぺろぺろとなめたのです。
「それにしてもこんな寒い日に、よう死なんかったこっちゃなぁ」
正直もうダメだと思っていたので、仔犬の強い生命力にとても驚きました。
仔犬は私が何かを話すたび、黒い丸い小さな目で、私の目をじっと見ています。小さな体を抱き上げて、仔犬の鼻先に私の鼻先をくっつけると、ミルクの匂いに混ざって、仔犬特有の干したての布団のような匂いがしました。
当時、私は結婚していましたが、色々な理由から子どもができないことを悩んでいました。一生、お母さんにはなれないかもしれない。そう思うと、胸が張り裂けそうに苦しくなるのです。そんな私の元に突然舞い込んできた仔犬を見ていると、不思議と心が満たされていくのを感じました。
「これも何かの縁やろな。よし、お姉ちゃんが飼うたろ。今日から私があんたのお母さんやで」
私の言葉の意味を知ってか知らずか、仔犬は嬉しそうにペロペロと私の鼻先をなめ続けています。そのままもう少し上に持ち上げると、女の子だとわかりました。
「あんたにも名前が必要やなぁ」
考え込む私の頭の中に、通勤途中に見える早咲きの白い梅の花が浮かびました。
「よし、あんたは今日から『ウメ』やで。麗しくてええ名前やんか。よろしくな、ウメ」
その日から、ウメとの生活が始まったのです。
毎日、尻尾が振りちぎれるのではないかと思うほど、尻尾を振ってお出迎えしてくれる姿を見ていると、私の心はどんどん温かいもので満たされていくのを感じました。
当時の日記にはこう記されています。
『もし私に子どもが生まれたら、こんな気持ちになるのかな。人間と犬の違いはあっても、心から愛しいと思う気持ちは同じではないのだろうか』
私は、ウメに対して、まだ生んだこともない我が子に対するような愛情を感じていました。
ウメと私が家族になって数日経ったころのことです。
その日も、いつものように餌を与えに玄関に出ました。いつもなら玄関を開ける前に、ドアの前で待ち構えているはずのウメがいません。
「ウメ、ウメ!」少し大きな声で呼んでも、小屋の中にもどこにもいないのです。よく見ると、ウメの餌入れと水入れが見当たりません。繋いでいた鎖まで無いのです。
何が起こったのかわからないまま、迷い犬として保護されていることを願って、私は警察と保健所に犬の特徴を連絡し、周辺の獣医にも事情を話しました。
じりじりと時間だけが過ぎていきます。今にも車に轢かれて死んでしまうのではないかと思うだけで涙が出てきました。
(まてよ……、餌入れと水入れと鎖がないということは、もしかして盗んで飼う気? 盗まれたとしたら、一体誰が……)
犬を盗んで飼うということは、近所であればけっこう目立つ行為です。特にウメの体は白地に黒の模様がついていて、余計に目立つはずです。近隣でそんな無茶をする人がいるのだろうか……。
ふと、私の頭の中に、近くの公園の東屋が浮かびました。そこには数年前からブルーシートを雨よけにしてホームレスのおじさんが住んでいたのです。まさか……という思いと、もしかして……という思いが何度も交差します。こうしてぐちゃぐちゃ思っていても仕方ないので、意を決してその公園に向かうことにしました。
公園につくとすぐに真っ青なブルーシートで覆われた東屋が見えてきました。
(もし、ホームレスのおじさんが怒ってきたらどうしよう……)
少し怖くなった私は、公園の手前にたくさん積まれていた竹を一本握り締めて、東屋に近づきました。幾重にも巻かれたブルーシートを竹の棒でそーっとめくってみました。すると、どうも留守のようです。胸をなでおろし、あたりを見回して誰もいないことを確認して中に入ると、足にコツンと何かが当りました。それはなんとウメの餌入れだったのです。
(やっぱり!)
ウメに会えるかもしれないと思ったら、さっきまでビクビクしていた自分が嘘のように、大胆にブルーシートを開けて中に入っていました。
中は缶ビールや弁当のゴミで、足の踏み場もないほど散らかっていて、すえたにおいが充満していました。
「ウメ! ウメ!」
中に入ればウメに会えると思っていたのですが、餌入れも水入れもあるのに、ウメの姿だけがないのです。
東屋を出て、大きな声でウメを呼びました。何度も何度も、不安な気持ちで。
そのとき「キャン!」と一声、ここではないどこかから犬の声が聞こえたのです。私は声のするほうに神経を集中し、走り出していました。
声は、公園の近くの工事現場から聞こえているようです。工事現場の柵を乗り越え、中に入ると、ウメは鎖をつけたまま、工事現場の作業員たちに囲まれて座っていました。私はウメの無事な姿を確認すると、安心してその場にへたりこんでしまいました。
そんな私の元へ鎖をじゃらじゃらといわせながらウメは走ってきて、嬉しそうに私の顔をぺろぺろとなめるのでした。抱きしめて頬ずりをしようとしたときです。ウメの四本の足の裏の皮がずるずるにむけてただれていることに気付きました。きっと連れ去られるときに、嫌がって鎖で引きずられたのでしょう。とても怖くて痛かったはずです。
「いつからこの犬はここにいたのですか?」
現場の作業員の人に聞くと、昼ごはん時に鎖をひきずって現場に入ってきたということでした。数人の作業員の人たちが弁当のおかずをあげると喜んで食べ、飼い主が現れないようなら誰かが持って帰ろうと話していたところだったそうです。
今朝からのことを作業員の人たちに説明しているときです。東屋にあのホームレスのおじさんが帰ってきたのです。ホームレスのおじさんは、ウメを抱いた私の姿を遠くからじっと見ていました。
現場の作業員の人が大きな声で言いました。
「おい、おっちゃん、人んちの犬を盗んだらアカンやろ」
その言葉を聞いたホームレスのおじさんはびっくりした様子で、逃げるようにいなくなりました。
私は作業員の方々に何度もお礼を言い、温かいウメのぬくもりを感じながら、家路につきました。
犬の成長は、およそ人間の七倍の速さとも言われています。簡単に言うと、私たちの一日は、犬たちにとっては一週間だということです。特に生後半年から一年は成長の速度が早く、あっという間に成犬になります。
死にかけの小さな体で震えていたウメも、半年で立派な成犬に育ちました。
ある日のことです。突然、ウメが餌を食べなくなりました。餌を口にしなくなってもう二日が経ちます。さすがに心配になった私は、手のひらに餌を乗せて、何度もウメの鼻先につけてみましたが、いっこうに食べる気配を見せません。
(このまま明日まで食欲が出ないようなら獣医に連れていこうかな)そう思った矢先に、さっきまでの様子が嘘のように、急にばくばくガツガツと食べ始めたのです。あまりの変わりように驚きましたが、食欲がでたことに安心しました。
ところがです。その日からウメの食欲はとどまることを知らず、毎日毎日ものすごい食欲で餌をたいらげ、みるみるうちにウメの体は太ってしまったのです。その姿はとてもこっけいなものでした。脚や顔はやせているのに、おなかだけがでっぷりと異様に膨らんでいるのです。
「太りすぎや、ウメ」と笑いながら、おなかをさすると、ごにょごにょと手のひらに変な感触が伝わってきました。思わず手をひっこめます。
(今のは一体何……?)
もう一度、恐る恐るおなかに手をやると、今度はなんともありません。気のせいだったと思ったその瞬間、ウメのおなかがまたごにょごにょと変な動きをし始めたのです。それらは不規則に動いていて、まるで布団の中で遊ぶ子どものようです。
「まさか……」
その予感は的中でした。ウメのおなかの中には赤ちゃんがいたのです。獣医さんで写してもらったレントゲンには、はっきりと四匹の赤ちゃんが写っていました。
「だから食欲がなくなったり、急に食べたりしたんかぁ」
ウメはきょとんとした顔で私を見ています。もしかしたら自分でも何が起きたのかわかっていないのかもしれません。私ですら、まさか生後半年のウメがいきなりお母さんになるなんて、想像もしていませんでした。とても驚きましたが、できてしまったものはしょうがないと、おなかに命を宿したウメを全力でサポートすることにしました。
犬は妊娠をすると、ストップウォッチではかったようにきっかり二ヶ月で赤ちゃんを生みます。獣医さんのお話では、出産予定日ちょうどに産まれるので、それまでに『産箱』を作っておくようにとのことでした。『産箱』とは、犬が赤ちゃんを産む場所で、犬小屋ではなく、屋根の無い壁の低い箱のことです。産んだあとも、その箱の中でおっぱいをあげたりするのだそうです。
日曜大工が大の苦手な私が慣れない手で、かなづちを握り締め、ウメの出産のための産箱を作りました。それはとてもほめられるようなモノではありませんでしたが、ウメは喜んでその箱に入ってくれました。
出産前日のことです。いつも活発に走り回るウメが産箱の中で横になってばかりいます。おなかを見ると、赤ちゃんの頭や足がなんとなくわかるほど大きく動いていました。私はその晩、産箱を自分の部屋にいれ、時々苦しそうにするウメの頭や体を夜通しなでていました。
朝になり、出産はまだまだだったのかなと思ったそのとき、「キュ〜ン、キュ〜ン」と鳴いて苦しそうに立ち上がったのです。あれだけ心の準備をしていたにもかかわらず、私は胸がはりさけそうなほどドキドキしてきました。
「ウメ、頑張って!」
声をかけると、ウメは私の体に少し近づいて頭をくっつけてきます。きっと相当苦しいのでしょう。何度か苦しそうな声をあげたあと、ズルンと風船のようなものに包まれた赤ちゃんが出てきました。私は赤ちゃんが地面に落ちないように、手のひらに受けました。
手のひらの中の赤ちゃんは生温かく、風船は血だらけで、その中が透けて赤ちゃんが見えていました。驚いたことに、透けて見えた赤ちゃんの色は、ウメと全く同じボーダーコリーのような白地に黒が入った模様だったのです。ウメと同じその模様を見ていると、ついこの間まで小さな仔犬だったウメも、こうして生まれてきたのだなと、命の不思議な流れに鳥肌のたつ思いでした。
ウメはすぐさま私の手のひらの赤ちゃんを匂いにきて、ぺろぺろとなめ始めました。よく見ると、それはなめているのではなく、小さな前歯で器用にその風船のような赤ちゃんを包む膜を破っていたのです。膜から出てきた赤ちゃんは、私の手のひらでウメになめられて右へ左へと転がります。最後に、おなかについた赤い『へその緒』を食いちぎり、ウメはまた苦しそうにうなりだしました。
ウメのおなかの中にはあと三匹の赤ちゃんがいたことを、一匹目の出産に気をとられてすっかり忘れていたのです。
一匹目と同じように、苦しそうな声をあげたあと、また膜に包まれた赤ちゃんが出てきました。ウメは誰に教わったわけでもないのに、もくもくと膜を破り赤ちゃんの世話をします。その姿は、捨て犬だった仔犬ではなく『母親』そのものでした。
そうして四匹すべての赤ちゃんを産み終えたウメは、産箱の中にドスンと横になりました。その姿を見た私は、てっきり生まれて初めてのお産で疲れて横になったのだと思ったのですが、横になったウメのおなかにわらわらと赤ちゃんが集まってきて、おっぱいを飲み始めたのです。そうです。ウメはおっぱいを飲ませるために横になったのでした。
四匹の出産を終えたばかりのウメはきっととても疲れているだろうに、誰に教わらずとも立派に母親をするウメ。まだ目もみえていないはずの生まれたばかりの赤ちゃんがおっぱいを探す様子に、『本能』と『母親』のすごさを、目の当たりにし、胸が熱くなりました。
本来、赤ちゃんを産んだばかりの母犬は、赤ちゃんを取られまいとして、そばに人間が寄るのを嫌がります。どれだけ気性が穏やかな犬でも、そのときばかりは「ウー」とうなり声をあげることが多いのですが、ウメは唯一、私がそばに寄ることを許してくれていました。
私は時間があればウメと一緒に産箱に入り込み、乳を飲む仔犬たちと一緒に何度も昼寝をしてしまったほど、ずっとそばにいました。ウメたちのぬくもりは、体温の温かさだけではなく、いつも私の心を温めてくれているようでした。
そんな産箱での数日が過ぎて、仔犬たちはようやく目も見えるようになり、早くも活発に動くようになったのです。ウメと同じ模様の四匹はまるでぬいぐるみのようで、噛み合いながらかたまってコロコロと転がる様子を見ていると、可愛さで顔がでれでれとなってしまうのでした。
でも、そんな幸せな時間には限りがありました。とても悲しい現実ですが、仔犬たちをすべてウメの元においておくわけにはいかないのです。
ウメの生んだ子どもだからそばにおいておきたい。その気持ちがないわけではありません。ウメも言葉は話せなくても、きっと仔犬のそばにいたいはずだということはわかります。でも犬を飼うということは簡単そうでいて、実はとても難しいことなのです。犬一頭に対しての適切なスペースの確保、散歩、餌、獣医、それらすべてをまかなうお金がないと犬を飼ってはいけない、『可愛い』だけでは生き物を育ててはいけないと私は思うのです。特に犬や猫など動物たちの可愛い子どもの時期はあっというまに過ぎます。たとえその犬がヨボヨボのお年よりになっても、寝たきりになっておしめをしなきゃいけなくなっても、寿命を迎えるまで、一生世話をし続ける決意を持たないと飼ってはいけないと思います。
だからこそ、私はウメの子どもたちをウメには申し訳ないけれど、手放す覚悟をしました。私の住んでいる家ではウメ一頭を飼うことで精一杯のスペースだったからです。
その日から、『貰い手探し』が始まりました。私はまず、地方紙に連絡をし、貰い手募集の記事を載せてもらいました。そしてチラシを作り、近辺の獣医さんやペットショップなどに貼って、連絡を待ちました。たくさんの人が欲しいとお声をかけてくださったけれど、すぐには決めずに、私はその人たちひとりひとりと面談をして飼い主になっていただく人を決めました。なぜなら、ウメの生んだ子犬たちに幸せな一生を送って欲しかったからです。
条件は『一軒家かどうか』『多頭飼いをしていないか』です。
『多頭飼い』というのは、スペースに見合わないたくさんの頭数の動物を飼うことをいいます。動物は言葉を話せないので、そのことが動物たちにとって幸せか幸せでないかは確認しようがありませんが、人間でも狭い空間にたくさんの人間が暮らしていたら窮屈な思いをします。そういう意味で、私はその二点を条件に飼い主を探しました。
一人目の飼い主さんは、一軒家で他に動物を飼っていませんでした。学校の先生をなさっていたご家族で、おじいさんと同居をしていました。いつもどなたかが家にいるというので、仔犬もさびしくないだろうと判断をしました。
その飼い主さんは四匹の仔犬の中から、一番小さいウメにそっくりなメス犬を選び、その場で『ミルク』と名前をつけました。ミルクを渡す前日、私はミルクを優しくシャンプーをして、「どうか幸せに一生を暮らせますように」という願いを込めて首輪にピンクのリボンをつけ、飼い主さんに渡しました。
二人目の飼い主さんは大きな工場の社長さんでした。工場内に自宅があります。敷地はとても広く、充分に走り回れると思った私は、その飼い主さんに渡すことを決めました。飼い主さんは産箱の中から、小さめのオス犬を選び『キミタ』と名づけて大事そうに抱えていきました。
三人目の飼い主さんは、兵庫県の方でした。わざわざ兵庫県から見にきてくれたのです。一軒家で他に動物も飼っておらず、とても優しそうなお人柄を感じて、渡すことにしました。その方は産箱の中から、少し毛の長めのオスの仔犬を選び、貰われていきました。犬の名前は聞いていません。
三匹がいっきにいなくなった産箱はとても広く感じました。ウメもしきりに産箱をにおって、子どもたちを捜しているようでした。その様子を見ると少し胸が痛みました。
それから何人もの人が飼い主になりたいといって家にきてくれましたが、どうしたことだか残りの一匹を見ると気が変わってしまうのです。
「どうしておまえだけ、誰も選んでくれへんのやろうね」仔犬のあごをなでると、気持ちよさそうに目を細めて体をすりつけてきます。とても性格のよい穏やかなオスの仔犬なのです。
そんなとき、私の知り合いが仔犬を見にきてくれました。
「ぶっさいくな子やな〜」
残った一匹の仔犬を見た第一声です。
私は生まれる瞬間から世話をしていたので、すべてが可愛く見えていましたが、言われてみれば体の割に頭は大きいし、模様の入り方のせいで顔だけがより大きく見えて、確かに貰われていった他の仔犬たちと比べると器量はよくありませんでした。
「そのせいで、飼い主が決まらへんのかぁ」
私はそうつぶやいて、その仔犬を抱き上げると、いつかの凍えて死にそうになったウメを思い出しました。仔犬の鼻先に鼻をくっつけると、あの日のウメの匂いがします。
「よし、お母さんが飼うたろ!」
決してスペースは広くはなかったけれど、一頭増えるぐらいなら可能だったので、私は一匹だけ売れ残ったこの仔犬を飼うことに決めました。名前は、私が幼いころとても好きだったテレビアニメ『星の子チョビン』からとって、『チョビン』と名づけました。
チョビンはウメと正反対の気質を持っていました。ウメは遊ぶこと、走ることが大好きで、いつもせわしなく動き回り走り回り、じっとしている姿は寝ているときだけという感じだったのに、それに比べチョビンときたら、ボールを投げても取りに行く途中で飽きてしまい、地面に座りこんでしまうほど、のんびりとした性格をしていました。
私たちの毎日の日課であり、一番のお楽しみは散歩。家から少し離れたところにある広い場所に向かいます。そのそばにはブドウ畑があり、ブドウの実がなっていないときは農家のかたに許可をもらって、その場所で遊ばせてもらっていました。
そんなウメを見ながら、私はゆっくりと後をついていきます。そしてゆっくり歩く私のそばをチョビンがついてくるのです。
ウメは目にも留まらぬ速さでびゅんびゅんと駆け抜けますが、いつも十メートルほど離れると私の姿を確認するために立ち止まります。私の姿を見て安心しては、また風のように、甘い匂いの漂うブドウ畑の中を駆け回るのです。
そんなウメをからかうために、ウメが目を離した瞬間に物影に隠れる『かくれんぼ』が私の中では一番楽しい遊びでした。息を潜めて隠れていると、警察犬のように地面をにおって近づいてくるウメが見えます。あともう少しで見つかる! と思うだけで心臓がドキドキ。私を見つけるとウメはその場で一メートルほどぴょんぴょん飛び上がって喜ぶのでした。
あるときは、小さな石を林の中に投げて、それを取ってくるように言うと、数分後にはちゃんと拾ってきたりもしました。
本当に私が投げた小石を持ってきているのかなと思ったので、小石にマジックで印をつけたものを竹林に投げてみると、ちゃんと印のついた小石だったのでびっくりしたこともありました。遊びつかれた私たちは、建築資材の上で寝転んで昼寝をしたこともあります。
暖かいお日様に照らされながら昼寝をしたり、走り抜けるウメを見ている時間は私にとって本当に幸せな時間でした。太陽のにおいのするウメのおなかに顔をうずめながら、この時間がずっとずっと続くと信じて疑いませんでした。
「ぎゃおおおおん、ぎゃおおおおん」
けたたましい異常な鳴き声に飛び起きました。あたりはまだ薄暗く明け方であることがわかりました。
(普通の声じゃない……。ウメとチョビンに何かあったんや……)
早くウメとチョビンの元に行かなければと思うのに、その鳴き声にただ事ではない異常さを感じて、足がすくみひざが震えてうまく歩けないのです。
私は階段の手すりをしっかりとつかみ、震えるひざで階下におり、ドアを開けました。ドアの外には犬小屋と、出産のときの産箱がそのままおいてあります。チョビンが産箱をお気に入りだったので、そのままおいておいたのです。
薄暗い中、産箱を覗くとチョビンが寝ていました。
「ああ、良かった、寝てたんか」
そういってそばに寄ると、チョビンは足をピーンと伸ばして、口から泡を吹いて死んでいたのです。
私はあまりの驚きに声が出ません。死んでいるということはわかるのに、事態をうまく理解できないのです。体がガタガタと震えます。その震える手を伸ばしてチョビンを触ると、あんなに柔らかくフワフワだったチョビンの体が固くなっていて、三月の冷たい外気のせいでもうすでに冷たくなりかけていました。
「チョビン…… なんで……」
私は口を手で押さえ、名前をつぶやくだけで精一杯でした。
ウメの姿が見えません。小屋の中にもどこにもいないのです。私は震えながら大きな声でウメを呼びました。
「キャーーーーーン!」
少し遠くのほうで、鋭いウメの鳴き声が聞こえました。
(ウメは生きてる!)
私は声がしたと同時に声のしたほうに走ると、草むらの中からヨロヨロとよろめき泡を吹きながら歩いてくるウメが見えました。
「ウメーーーー!」
私がそばに駆け寄ると、ウメはドサッと私の腕の中に倒れ、痙攣をし始めました。
「ウメ、ウメ、ウメ!」
私は半狂乱になりながらウメの名前を何度も呼びましたが、ウメは苦しそうに泡を吹きながら痙攣しています。
私はウメを抱いて車に乗り込み、獣医を探しました。
「神さま、どうかウメを死なせないでください! 神さま、どうかウメまで連れていかないで! 死なんといてウメ、私をひとりにせんといて、おいていかんとって、ウメ! ウメ、お願い、死なんといて!」
絶叫しながら獣医を探しましたが、早朝ということもあり、どこの獣医も開いていません。私の腕の中でウメがどんどん弱っていくのを感じ「早く、早く」と気持ちだけが焦ります。苦しそうにうめき声をあげながら痙攣を繰り返すウメを見ていると、苦しさで私の心は潰れてしまいそうに痛みました。
そして私は静かに車を路肩に停めたのです。
ウメの命が終わろうとしていることを感じたからです。
死んでほしくありません。
もちろん死んでほしくなんてない。
ウメとお別れをするなんて考えたこともありませんでした。あったとしても、それはもっとずっとずっと先のことのはずでした。でもウメの苦しむ姿を見ていると、これ以上苦しませたくなかった。この苦しみから早く解放してあげたかったのです。
私はウメの体をしっかりと抱きしめました。そしてどんなに悲しくとも、どんな些細なことも見逃さないように、涙を何度も拭きながらじっとウメを見つめました。
ウメの息がどんどん短くなっていきます。
「ウメ、お母さんここにおるからね」話しかけると、ウメは「フゥー」と大きく息を吐き出し、首ががくんと垂れ、静かに息を引き取りました。ウメの瞳の中の『瞳孔』が開いていくのが見えました。
ウメが死んでしまった。
ウメがいってしまった。
「ウメーーーー!」
私は、車の中でウメを抱きながら絶叫しました。そして胸が張り裂けそうというのはこのことを言うのだなと思いました。自分の心が壊れてしまうのではないかと思うほど悲しくて、冷たくなっていくウメの体を抱きながら、しばらくそのまま泣いていました。
近くに、自宅と一緒になっている獣医を見つけて、そこで吐いたものを調べてもらうと『有機リン系』の毒物を飲まされたということでした。
ウメとチョビンは毒殺されたのです。
あの子たちは、人間を信じて、人間の手から毒物入りの何かを食べたのです。それは私にとって、頭をかきむしりたくなるほど辛い現実でした。
でもなぜか、ウメを殺した人間に対しての憎しみは不思議と湧いてきませんでした。湧いてくるのは、ウメとチョビンがこの世を去ってしまった悲しさと寂しさばかりでした。
家に着くと、お隣の建設資材会社に警察の車両が停まっていて、警察官の人が何人かいました。おまわりさんの話によると、その建築資材会社に資材泥棒が入ったとのことです。夜中に大きなトラックできて、たくさんの建築資材を盗んで転売するのだそうです。
ウメとチョビンは、盗むときに吠えて邪魔にならないように、毒物を飲まされた可能性がある、ということでした。愛しいウメとチョビンは、そんな身勝手な理由で、身勝手な人間にむごたらしい殺され方をしたのです。
「被害届を出しますか?」
警察の方が聞いてきました。私は首を縦に振り、被害届を出すことにしました。でもその書類には、「器物破損」と書かれていたのです。
「器物破損の器物とは、犬のことですか?」
私はまさかと思いながら聞きました。
「はい、その通りです。今の日本の法律では、犬などペットは物とみなされ器物という扱いになります」
あの愛しいウメたちの命が「器物」という物として扱われてしまう事実に、私は頭を殴られたような衝撃を受けました。ただ、そのことに納得していなくても、法律を変える力はありません。私は涙が溢れそうになりながら、黙って書類にサインをしました。
「今回、犬が被害にあいましたが、犬といえど犯人のように命を扱う人間は、人間に対しても軽々しくそのようなことをする可能性があると私は思います。どうか真剣に捜査をお願いします」
そう伝えるだけが精一杯でした。
結局、犯人は捕まっていません。
今もどこかで、同じような犯罪を繰り返しているのでしょうか。
私は犯人を憎く思ったことがありません。憎んで、あの子たちの命が戻るなら、迷わず憎しみを持ったでしょうが、どれだけ憎く思ってもあの子たちの命はもう二度と戻らないのです。
憎しみを持てたら、憎しみの向かう場所があれば、もう少し楽だったのかもと思うこともあります。自分でもよくわからないのです。
私はウメとチョビンのお墓を、いつも遊ばせてもらった建築資材倉庫の隅に掘らせてもらいました。よく散歩をしたブドウ畑のよく見える場所です。
近所の人の「深く掘らないと、狸や野犬に掘り返されるよ」という声が聞こえましたが、私は返事をせずに、汗と涙でぐちょぐちょになりながら、無心で掘り進めました。掘りながら、なぜ穴を掘っているのだろうと思ってもいました。気がつくと、深い穴ができていました。
私は掘るのをやめ、ウメとチョビンの亡骸のそばに腰をおろし、ウメのおなかをなでました。
「こんなことやったら、手術で痛い思いする必要なかったのにな」
実はウメは、避妊手術をしたばかりで、おなかを縫った糸がそのまま残っていたのです。順調に回復をしていたので、明日にも抜糸に行く予定でした。
小屋のそばには、買ったばかりのまだ封の開いていない十キログラムの餌が置いてあります。
ウメとチョビンのえさ入れ。
ウメとチョビンの鎖。
ウメとチョビンのガム。
ウメとチョビンのおもちゃ……。
あたりをちょっと見回すだけで、あの子たちの思い出に溢れています。
私はふらふらの足で立ち上がり、チョビンとウメから首輪を外しました。そして、今にも起き出してきそうなウメとチョビンを土の中に寝かせました。おもちゃやガムを横にそえて。
最後に「おやすみ」と言って土をかけました。
愛しい存在に土をかけるというのは、本当に辛いことです。私は声にならない声で泣きながら、作業を続け、気がつくと終わっていました。それから数日のことはあまり覚えていません。
人間はあまりに悲しいとき、記憶を曖昧にして悲しさから自分を守ることがあるということは後で知りました。きっと私にもその作用が働いていたのかもしれません。
会社に行けば、あの子たちを失った悲しみを出さないように努めました。なぜなら、世間から「たかが犬が死んだぐらいで」と思われてしまうのではないかということが怖かったのです。あの子たちの死を、そのように思われるのが嫌だったからです。
数日後、私はたくさん余った餌と水を毎朝お墓に供えることで気持ちを紛らわせていました。いつもと同じ作業を繰り返すことで、やり過ごしていました。その餌はいつも朝になると空になっているのでした。きっと夜中に狸や野犬が食べにきているのだということはわかっていましたが、私はそれでも良かったのです。
朝、空の餌入れを見ると、あの子たちが食べてくれたような気持ちになれたから。
でも餌には限りがあります。一〇キログラムの餌は瞬く間に底をつきました。
ある朝のことです。空っぽのドッグフードの袋を見ていると、今まで平静をよそうために無理に押さえ込んでいた怒りや悲しみが津波のように押し寄せてきました。その怒りや悲しみは深く、息がうまくできないほど。
とても苦しくなった私はお墓に走りました。そしてお墓に突っ伏して大声で泣きました。
「なんで、なんで、なんで!」と言って、お墓を殴り続けました。叫んで叫んで叫んで殴って殴って殴って。
どのぐらい殴っていたのかは思い出せませんが、気がつくと私の手は血だらけになっていました。血がだらだらと流れています。痛みを少し感じました。そして空を見上げると、雲ひとつなく澄み渡っていました。その美しい空を見ていると、なぜだか、自分が今生きているということばかりが頭に浮かぶのです。
「血が流れるのも、呼吸して私が生きているからなんやな」と心からそう思いました。
普段、生きていながら、生きていることを意識していない自分に気付きました。
呼吸をして、心臓が動き、血液を体中に送り、私は生きている。だから血が流れる。当たり前に思えることを普段いかに意識せず、感謝せず過ごしてきたのかを、お墓の前で教えてもらったのです。その日から私は、生きていることそのものに感謝できるようになりました。
そして、生き方すべてを変えようと思ったのです。住む場所も生活もすべてを変えていかねば、死を持って気付かせてくれた「生きている」という大切なメッセージが無駄になるような気さえしました。
子どものいなかった私は、当時の結婚相手との離婚を選択し、別々の人生を歩むことにしたのです。
それから二年ほど経った私のおなかには、あの日のウメと同じように赤ちゃんがいました。私は二度目の結婚をしたのです。
自分がまさか結婚をし、お母さんになるなんて思ってもみない未来がここにありました。時間は流れています。思ったように流れない時間もありましたが、少しせり出してきたおなかをさするたび、ウメのことを思い出し温かい気持ちになるのでした。
ウメたちのお墓参りにきたときのことです。ウメとチョビンを埋葬している会社が倒産し、その土地をある会社が買い取り、グラウンドにするという話しを聞きました。私は耳を疑いました。
あの子たちのお墓の上がグラウンドになり、人がどかどかと走るなんて。きっとあの子たちは、そんなことどうでもいいよと思っていたのかもしれませんが、私にとっては一大事でした。
何日間か思い悩みましたが、私は思い切ってウメたちの骨を掘り起こすことに決めたのです。安らかに眠るウメたちにとって、そのことが良い判断なのかと考えると迷うところですが、お墓の上がコンクリートで埋められグラウンドになって、お墓に参ることもできなくなると思うと、いてもたってもいられない気持ちになってしまったのです。
とても暑い日でした。私は主人と二人でスコップを持ってお墓にいました。
実は私の主人は、犬や猫が大の苦手です。私が犬を触った手で、主人に触れるのも嫌がるぐらいに苦手だったので、まさか骨を掘り起こす作業を手伝ってくれるとは思ってもみませんでした。
主人と出会ったころの私は、まだ喪失の悲しみの真っ只中にいました。ウメたちを失ったことを頭では理解していても、ふとすれ違う犬の鳴き声に楽しかった日々がよみがえり涙ぐんで立ち止まってしまうほどでした。
犬を飼ったことのない主人は、そんな私にどのように接していいのかわからなかったそうです。
ある日、玄関先で「これ」と言って手渡してきたのは、取っ手のついた小さなダンボールの箱でした。開けると、小さくて茶色いダックスフンドのメスの仔犬がプルプルと震えていました。
「この犬、どうしたん?」と聞いても主人は何も答えません。何も話さない主人でしたが、ふさぎこむ私へのプレゼントだと思うことにして、その犬に「ユキ」と名づけて世話をすることにしました。
ですが主人は、自分で買ってきたにもかかわらず、ユキには一切触れないのです。ユキがそばに寄って行っても、汚いものを見るかのように逃げてしまいます。
そんな日が一年ほど続いたある日。仕事から帰った主人が玄関先でユキを抱いている姿がありました。
「おれな、ユキのこと触りもせんのにな、毎日、毎日な、仕事から帰ってきたら玄関に座って待ってるねん。毎日やで? こんなに嫌がってるのに……」と言って、ユキを抱きしめていました。その日から主人は、あれほど嫌がっていたユキと同じ布団で寝るようになったのです。
それからしばらくたったある日。
「ユキが死んだらと思ったら涙が出そうになった」と主人が言ったのです。そうして「はっ」とした表情をしました。
ウメとチョビンを失った私の悲しみがどれほど深いものなのかを、ユキと置き換えることで初めて気付いたようでした。
だからこそ、骨を掘り起こしたいという私の願いを静かに聞いてくれたのでしょう。
骨を掘る作業は、思っていた以上に困難を極めました。さすがの主人も、いくら場所を指し示しても、スコップに骨が当たってしまうことを恐れてしまって、なかなか掘り進められないのです。それもそのはずです。いくら私にとって愛しい犬たちであっても、飼い主ではない主人にとっては怖いに違いありません。それでも徐々に穴は深くなっていき、躊躇する主人に替わって、だいぶ掘り進んだ穴の中に入りました。
むわっと土の匂いが立ち込めます。大きなおなかが邪魔をして、うまくかがめないけれど、それでも汗だくになりながら小さなスコップで少しずつ堀り進めると、コツンと何かに当たりました。
私は慌ててスコップを離すと、手で土をよけました。するとそれは、赤い小さなタンバリンでした。鉄の部分は錆びてしまっていたけれど、間違いなくウメとチョビンが遊んでいたオモチャでした。
楽しかったあの日々が、まぶたの中にどっと押し寄せてきます。タンバリンをくわえて振りまわすウメの姿が浮かびました。涙が後から後から溢れてきます。私は涙をぬぐうこともせずに、一心に掘り続けました。
埋めたときと同じように、土だらけのふたつの頭の骨が並んでいました。骨になっていても、その頭の骨がウメなのか、チョビンなのかがわかりました。私はひとつひとつの骨についた土を丁寧に払いながら、この日のために用意をした銀色の缶箱に入れました。
そして、今は小さなハイツに住んでいるけれど、いつの日か庭つきの家を買って、ウメとチョビンの骨を埋めるからと約束をしたのです。
生まれて初めての育児は、思っていた以上に大変なものでした。四六時中、おっぱいをあげ、家事をし、寝る時間も満足にとれません。あまりの寝不足に、寝ているのか起きているのかわからないような状態で、生まれたばかりの赤ちゃんの横に座っていると、あるニュースが目に留まりました。
それは、白黒の写真展の様子を写していました。どの写真にも可愛い犬たちが写っています。でもよく見ると、どの写真も檻ごしの写真なのです。
アナウンサーの方は、この写真の犬たちが保健所で殺処分を待つ犬たちであることを伝えていました。この愛らしい瞳をカメラに向ける犬たちは、あと数分したら二酸化炭素ガスによって窒息死させられるのです。そして、その犬のほとんどが、飼い主自らの手で保健所に連れてこられた犬だというのです。私は驚き、目を見張りました。
保健所に捨てにきた理由は、
「引越し先は犬を飼えない場所だから」
「次の犬を飼ったから」
「吠える声がうるさいから」
「咬むから」
「歳をとって世話が大変だから」
などでした。
身勝手な理由に言葉も出ません。日本の法律が犬の死を「器物破損」として扱う意味がよくわかった気がしました。一部の動物を大切にする人たちを除いて、今の日本では動物をモノとして捉えている動きのほうが大きいと感じました。そのことが残念でなりませんでした。
次の日、早速テレビでやっていた写真展に足を運びました。テレビで放送されていたのはほんの一部にすぎなかったのです。
飼い主により保健所に連れてこられ、帰る飼い主を追いかけようとする犬や、動物実験に使われてゴミ箱に捨てられた動物たちや、化粧品の実験のために、頭だけが出る装置に入れられたウサギの目に延々と化粧品を入れ、目に穴が開くほどにただれたウサギたちの写真もありました。
物言わぬ動物たちの断末魔が、今にも聞こえてきそうな写真たちに胸が痛み、同時にあの日のウメたちが重なります。
この国の病んだ部分を目の当たりにして、何とも言えない気持ちで写真を眺めていると、ある男性が声をかけてきました。
「こういったお写真を見るのは初めてですか?」
なんとその方は、保健所で殺処分を待つ動物たちの写真を撮り続けているカメラマン本人だったのです。
その方は、今の日本における動物の扱いや現状を詳しく説明してくださいました。
お話を聞くにつれ、私の心に大きな動きが生まれていくのがわかりました。といっても、子供を生んだばかりの私に何ができるのかはわからない。けれど、この現状を知った今、何もせずにいることはできませんでした。
(この写真パネル展を私も開こう)
私が写真の貸し出しをお願いすると、初対面にもかかわらず快く承諾してくださいました。生まれて初めての動物愛護活動の始まりです。
写真の貸し出しはOKしてもらったものの、すぐに写真展というわけにはいきません。まだ何もわかっていない私は、保健所での殺処分の現状を自分なりに調べてみたのです。そうすると、考えてもみなかった驚くべき事実ばかりを知ることとなりました。
現在、日本では毎年約三十万頭の犬や猫が保健所で殺処分されています。そのほとんどが、飼い主によって連れてこられるのです。
その犬や猫たちは、三日から五日の間に貰い手が見つからなければ、二酸化炭素ガスによって窒息死させられ殺されます。貰い手が見つかることはまれで、そのほとんどが殺処分されてしまうのが現状です。
ウメのように惜しまれて死ぬ命は幸せなのかもしれません。そう思わずにいられない数字でした。保健所に連れていけば殺されることを知っている飼い主も、自分の手で動物を殺すわけではないので、罪の意識も薄いのかもしれません。知れば知るほど、胸が締め付けられる思いになりました。
日本という国は先進国といわれていて、文明が発達しているにもかかわらず、動物に対する扱いや意識は、世界の他の先進国と呼ばれる国と比較すると約五十年ほど遅れているそうです。
問題は山積みで、何から手をつけていいのかわからない状態です。ただただ「伝えなければ」という思いに突き動かされます。
この現状を、今まで知らなかった人にひとりでも多く伝えたい。知るまえと、知ったあとではきっと違う視点をもてるはず。そのためのスピーカーになろうと決意したのです。
決意した私はまず、ホームページを作りパネル展を手伝ってくれる人をそのホームページで募りました。
数人の方が協力してくださることになり、その数人で『地球船』という名の小さな団体を作りました。この名前は、生き物はすべて地球という大きな船に住む仲間だという意味をこめて、つけました。
一応、言い出しっぺの私が代表です。
活動は地道ながらも順調にすすみ、私の住んでいる市の市長さんがパネル展を開く施設を無料で貸し出してくださることになったのです。
そんな中、私たちの活動を聞きつけて連絡をしてきたおばさんがいました。
「私、優しいから捨てられてるのをほっとかれへんねん。あんたら動物愛護してんねやろ? この猫ちゃんどないかしたって」
と、ダンボールに入った子猫を満面の笑みで渡してきたのです。
私はその行為にとても不快な気持ちになりました。そのおばさんが「優しい」などとは思えなかったのです。本当に優しい人は、拾った猫の貰い手を自分で探すはずです。確かに優しいからこそ見捨てられなかったのかもしれませんが、私にしたら、捨てた飼い主と同じことをしているように見えてしまったのです。
「申し訳ありませんが、私たち地球船は動物の現状を皆さんに知らせる活動のみなので、動物の保護をしておりません。どうかその猫ちゃんを可哀相に思うのであれば、ご自身で貰い手探しをしていただけますか」
そう伝えると、驚いたことにそのおばさんは「あんた動物好きなんちゃうの! ケチやな! せっかく持ってきてやったのに! そんなん私、忙しいからできひんわ!」という言葉と猫を残して去っていきました。
私はウメの子どもの貰い手探しをしたときと同じように、子猫の貰い手を懸命に探し、運良く飼い主さんを見つけることができました。
私が保護活動をしないのには理由がありました。まず、保護活動をするためのお金がないこと。活動の基本すべてがボランティアだったからです。そして場所の問題。まして私は赤ちゃんを生んで間もないために、自分の生活だけで精一杯です。そんな私たちが保護活動をしても、中途半端になるどころか、自分たちの生活が成り立たなくなってしまいます。それは本末転倒ではないのかと思ってしまうのです。
ただ動物愛護活動をされている方の中には、そういった保護活動を軸になさっている団体も多く、頭の下がる思いでいたことも事実です。でもそのような身を削るような活動自体が、子猫を持ってきたおばさんのような「捨てればなんとかなる」という飼い主たちの温床なのではないかという思いが拭いきれませんでした。
保健所に取材に行ったときのことです。
担当者の男性が説明してくださっている途中に、ひとりのおばさんがダンボール箱を持ってきました。箱の中には、まだ目の開いていない生まれたばかりの子猫が七匹入っていました。話しを聞くと、飼っているメス猫が子どもを生んだのだそうです。世話をできないから保健所に連れてきたといいます。
「避妊手術はしないのですか?」と聞いた私に、おばさんは言いました。
「そんなんおなか切って手術するなんて、うちの猫ちゃんかわいそうやんか」
保健所の方は、黙ってその子猫たちを受け取り、書類にサインをしてもらうためにおばさんと奥にいってしまいました。
「あの方ね、毎年子猫を持ってくるんですよ」
担当者の男性が私に言いました。
「毎年、避妊手術を勧めるのですが、飼っている猫がかわいそうと言っては、生まれてきた子猫を殺しにくるんです」
私はそのあまりの身勝手さに言葉を失ってしまいました。言葉がまったく出てこないのです。
「悲しい仕事です。私たちの中で動物を嫌いな人間はおりませんから。われわれ職員は毎朝、殺処分された動物たちの慰霊碑に手をあわせているんですよ。仕事だと思って、心を機械のようにして毎日働くしかないのです。あのような飼い主がひとりでも減って欲しいと願っています。どうかパネル展でひとりでも多くの人たちに現実を知らせてくださいね」
そう言って、担当者の方は寂しそうな表情で微笑みました。
保健所の担当者の方の言葉や、殺処分されていく動物たちや、ウメたちのことを胸に、パネル展を開催しました。駅の隣の小さな施設で開催したパネル展には約九百人もの人が足を運んでくれたのです。その中には、わざわざ四国から来てくださった方もいました。新聞社や雑誌社の方が取材に来てくださったりもしました。
私が開催したパネル展は数回だけでしたが、そういった運動を続けてこられた方たちの努力が実って、全国で頻繁に行われるようになり、大きな波となって二〇〇五年、ついに国を動かし動物愛護法という法律が改正されることとなりました。地球船ができて三年後のことです。
これまでの動物愛護法では、ペットで商売をすることにほとんど規制がなく、届出を出すだけでその日から動物の売買ができるほどにゆるいものでした。それが登録制となり、適切に動物を扱っていないと国が判断したときには、その権利を剥奪することができるようになりました。
次に、動物実験に使われる動物たちにたいする「痛み」や「苦痛」の軽減などの理念の追加です。そういった視点が全くなかったころと比べると、大きな意識の変化だと思います。
今まで曖昧だった、動物虐待や捨てることについても、罰則が三十万円から五十万円に引き上げられました。
ただ、法律が出来上がっても、それがきちんと機能していないと意味がありません。以前と比べるとずいぶん内容が濃くなったとはいえ、まだまだ改良をしていかないといけないと思います。
地球船はその後パネル展などの活動をやめ、私が個人的に小学校や幼稚園などで動物に関する紙芝居などを読んでいました。
なぜなら、子どもたちの心にウメの死をきっかけにウメからもらった、温かく大切な目を持つ種を植えたいと思ったからです。動物と関わる素晴らしさの種をたくさん植えたいと思ったからです。
活動を続ける中で、たくさんのことを知り、たくさんの出来事がありました。問題の複雑さに頭を抱えていましたが、ある日気付いたことはとても簡単なことでした。
本当に大切なことは、たくさんの動物を救うような大それたことではなく、自分が出会った動物だけでいいから、生涯責任を持って飼うことだと気付いたからです。
もしそれが叶えば、誰も保健所に動物を連れていくことはないのですから。その簡単に思えることができていないことが問題だったのです。いつか当たり前のようにそんな日がくることを願ってやみません。
引越しを終え、私は銀色の缶箱を持って梅の木のそばに立ち、子どもを呼びました。「今からウメとチョビンのお墓を作るよー」
主人の掘った穴に、あの日と同じようにウメとチョビンの骨を埋葬しました。もちろんおもちゃも一緒です。
主人が土をかけようとしたとき、この十年肌身離さず持っていたウメとチョビンの首輪も一緒に入れることにしました。そのほうがいいと思ったのです。
「ほんまにええんか?」
主人は気を遣って聞いてくれましたが、もう私には必要ないと伝えました。ウメたちとの思い出は、溢れるほど私の胸の中にあるからです。
最後にあの日と同じように「おやすみ」といって、土をかけました。
「もう悲しまないで」と声が聞こえた気がしました。だからもう涙は流しません。
ウメとチョビンはやっと、安らかに眠りにつくことができたのです。
「なぁ、ママ、ウメとチョビンのこと聞かせて」
「ああ、そやったな。じゃあ、中で話そっか」
また来年の春になればたくさんの梅の花を咲かせ、たくさんの実をつけてくれることでしょう。
そうして命は永遠にめぐり続けるのです。
■ ハート出版 公募のお知らせ
■ 第12回「わんマン賞」受賞作品発表
■ これまでの受賞作品
どの思い出も文章になると思うからです。
毎日の散歩、ご飯をあげる時、食べるしぐさ、ウメとチョビンとの日常が著者にとってどんなに愛おしい日々だったのか。
まとめる・・・
文章にしてまとめる。。。
その日々、感情を文字にする。。。。
文字として表現することのできないこともあったのでは?
という私は感想を抱きました。
辛い作業でもあったのかな?と個人的な推測に過ぎませんが。
自分の都合で飼って、捨てて、殺して
そこに一つの命があるのだという意識を持てば変わるんでしょうね
子ども達が読んで、いろんな事を考えさせられる深い内容に、大人でさえドキッとさせられました。
ペットを飼うということは、命の責任を持つと言うこと・・・少しでも多くの人に読んで欲しい作品だと感じました。
「人生の全てに意味がある」
と頭では理解していても、愛しい者との別れは本当に辛い・・・と思います。
資材泥棒にとって、ヨソの飼い犬は邪魔だとしても、その犬を心から愛している人が居て、資材泥棒をした人にも、その人を慈しんでいる人が居て。
世界は繋がっていて、白と黒とがハッキリしていなくて、愛しくて、悲しくて、幸せで、苦しくて・・。
自分の子どもには、「みんな誰かのウメ、チョビン」である事を知ってもらいたいと思います。
人間以外のものも、存在する全てが、誰かの愛しい者である事。
それを教える事が出来る親になりたいと、思います。
「本当に大切なことは、(中略)自分が出会った動物だけでいいから、生涯責任を持って飼うこと」
全くその通りだと思います。今後、一匹でも多くの動物の命が救われるために、沢山の人に読んで欲しい作品です。
誰かがやらなければならない仕事だけど
そんな仕事がなくなるよう、
子供たちからまずこのことを伝えて行きたいですね。
ペットを飼うこと。一つの命を預かるということ。
僕には飼い主としての心構えがまだまだ足りなかったように思います。ペットが簡単に飼えてしまう世の中で責任ある飼い主が一人でも多く増えて欲しいと思います。
不条理な事に負けない芯の強さを垣間見る事が出来ました。
ウメもチョビンも絶対に幸せだったと思います。
良かったなー!ウメー!チョビンー!
たくさんの人の心に届くように、書籍化されたらいいなぁと思います。
改めて命の大切さを考えるきっかけになる、とても素敵な作品でした。
生き物には、人間と同じように尊い命があるという事を、もっと多くの人たちが考えられる社会になるといいなと思いました。
私も微力ながら、次の世代を担う子供たちに、命の尊さを伝えていきたいと思います。
ウメもチョビンも、きっと梅の木の元で喜んでると思いますっ!
この度は、このお話を読んでくださったうえに、コメントまでつけてくださりありがとうございます。
>長い長い歴史をここまでにまとめるのは相当の労力をともなったのでは、と感じます。
そうですね。労力というよりは、自身の文章能力の問題のほうが大きくて頭を抱えました。
>文字として表現することのできないこともあったのでは?
確かにそうかもしれません。子どもに向けての文章、ということを心に留めて書いていると、どうしても表現できない部分というのはあったように思います。
ウメとチョビンの亡くなっていく様子を思い出すのは辛い作業であったと同時に、元気に飛び跳ねるあの犬たちの姿を思い出しているときは、そばにいるかのように感じて温かい気持ちにもなれました。
そういう意味で、このわんマン賞を設けてくださったハート出版さんに感謝の気持ちでいっぱいです。この機会がなければ文章化することはなかったと思うからです。
コメントをありがとうございました!
>そこに一つの命があるのだという意識を持てば変わるんでしょうね
その意識を持ったとき、人間関係の持ち方すら変わるかもしれないと思うことがあります。
読んでくださって、コメントまでつけてくださり、本当にありがとうございます!
>子ども達が読んで、いろんな事を考えさせられる深い内容に、大人でさえドキッとさせられました。
私もちょっと子どもには残酷すぎる内容になってしまうかなと思いつつ、書き進めました。
でもこれが現実であることを並べた中で、読んだ子どもたちがどんなことを意識に上らせ、どんなことを自分の材料に取り入れるかという選択肢のひとつになることは残酷なだけではないと思い、書くことにしました。
コメントをくださってありがとうございます!
こんなに長い文章を、何度も読んでくださってありがとうございます!
>自分の子どもには、「みんな誰かのウメ、チョビン」である事を知ってもらいたいと思います。
殺してはいけない、とかそういった道徳的なことは言葉としては耳に入ってくることが多いけれど、自分の身に置き換えて変換してから理解しないと、それは言葉だけ、情報だけが頭の中を流れていくのかもしれません。
そういうとき、子どもたちにそんな風に話してくださる機会があれば、こんなに嬉しいことはありません。
コメントを下さってありがとうございます!
>今後、一匹でも多くの動物の命が救われるために、沢山の人に読んで欲しい作品です。
正直、私の書いたものが誰かの目に留まることなんてあるのだろうかという気持ちでいました。
そんな風に思っていただけるなんて思ってもみませんでした。
この作品を読むことで、まずは「知る」ことのきっかけになれば、こんなに嬉しいことはありません。
コメントをしてくださってありがとうございます!
>思いが行動に移せる人はすばらしいと思います。
当時、思いを行動にうつしている自覚がなかったので、そういう風に感じてくださる方がいることに驚き、嬉しく思います。
コメントをくださってありがとうございます!
>子供たちからまずこのことを伝えて行きたいですね。
無限の可能性を秘めた子どもたちの心に届くことを願って書いた作品なので、とても嬉しいです。
そのような仕事の需要がなくなる世界、私もそんな日がくることを願っています。
コメントをくださってありがとうございます!
そんな風に思ってくださったのですね!
嬉しいけど、なんだか恥ずかしいです。
どうもありがとうございます。
>ウメもチョビンも絶対に幸せだったと思います。
そうだといいなっていつも思います。
こればかりは主観でそう思うしかないけど、そう思っていたい。
コメントをくださってありがとうございます!
16年間も一緒にいると、今ここにいないことに慣れる時間がとてもかかりそうですね……。
>ペットが簡単に飼えてしまう世の中で責任ある飼い主が一人でも多く増えて欲しいと思います。
簡単に飼えてしまうシステムも問題を抱えているのだと思います。
責任のある飼い主が増えることは、人間社会にも大きく影響を及ぼすのでは? という気持ちがぬぐいきれません。
ハスさんの悲しみが少しずつ癒えますように。
コメントをくださってありがとうございます!
>改めて命の大切さを考えるきっかけになる、とても素敵な作品でした。
そういう機会になったとしたらとても嬉しいです。そう言っていただけるだけで気持ちが軽くなります。
>私も微力ながら、次の世代を担う子供たちに、命の尊さを伝えていきたいと思います。
そのひとりひとりの行動や力が合わさって世界は構成されていると、いつも感じます。だから微力ではないと思うのです。
>ウメもチョビンも、きっと梅の木の元で喜んでると思いますっ!
そうだといいなといつも願っています。
コメントをくださってありがとうございます!
>作者さんの気持ちが心に迫ってくる内容でした。
思い出しながら書くことで、あまりにリアルに光景がよみがえり、何度も泣いてしまって中断ばかりしていました。
でもkayoさんがそう思ってくださったということは、そのときの気持ちが届いたのではないかと嬉しく思いました。
>たくさんの人の心に届くように、書籍化されたらいいなぁと思います。
うう、私も心の底から願ってはいるのですが、なかなかそう思ったように物事は運ばないようです(笑)
コメントをくださってありがとうございます!
悲しみを感じないたくさんの人も、ただ想像力がないだけなのだと僕は信じたいです。
そして、あなたの活動はそういった人たちが気付くある種のきっかけを与えてくれるかもしれません。それはとても尊いことだと思います。
これからも頑張ってください。
とても嬉しいです。ありがとうございます。
等身大の、ありのままの冴綸子さんの心に
触れたような気がして、私自身心が震えました。
改めて言葉の持つ力ってやっぱり凄いなと感じました。
それはきっと冴綸子さんの文書力・表現力の
素晴らしさも加わっているからだと思います。
私もぜひこの作品はたくさん方の心に
届いて欲しいと心より願っています。
魔法のiらんどのHPをかなり久々に見て飛んできて読ませて貰いました。
冴綸子さんの気持ちがヒシヒシ伝わってきて動物業界から離れてたけどいろいろ思い出してました。
わたしのブログ(アメーバでベビ待ち・猫中心に書いてます)で冴綸子さんのこと紹介してもいいでしょうか?